ぺんぎんろーる

海と坂のある街

愚痴と生活の記録。歯列矯正・適応障害に悩んだ社会人時代のお話など。

ようやく自己犠牲をやめることができました

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ようやく自己犠牲をやめることができました

 

私がずっと囚われていた「しなきゃ」は自己犠牲だなーと、過去を振り返った時によく思います。

 

 

 

 

 

 

自己犠牲する性格になってしまったのは母のせい

以前もブログに書いたのですが、昔の私は自分の都合を押し付けることが迷惑になると思い、基本的には嫌なことや困ることがあっても口に出さず我慢してきました。

 

 

 

この記事で書いたことは、その自己犠牲のうちの1つ。

 

今思うとなんでこんなに自己犠牲していたんだろうなーと思います。

 

まあなんでそんなに自己犠牲していたのかというと、自分がお願いをしても聞いてもらえなかったという、成功体験ならぬ失敗体験が強かったからなんですよね。

 

 

母の対応から何をして無駄だと諦めるように

私の失敗体験は主に母親とのことで、幼い頃からいろいろとありました。

 

うちは片親だったので母親が私と姉のことを育ててくれたのですが、やはり子供2人をシングルマザーが育てるというのは、お金の面としつけの面の両方でかなり大変です。

 

特に私の姉はわがままでよく母を困らせており、それを見て私は「こういうことはしないほうがいいんだな」と学習して、気を付けていた記憶があります。

 

とはいっても私も色々あれやりたい・これやりたいってわがまま言ってたんですけど、ことごとく「ダメ」「うちはお金ないから無理」ばかり。

 

次第に学習して、「こういうことはどうせ言ってもダメなんだなぁ」と諦めるようになりました。

 

その失敗体験の中で印象がかなり強かったことがいくつかあります。

 

 

嬉しいことを共感したかったのに

すでに1人でお風呂に入ってるときのことなので、確か小学校低学年の時だと思います。

 

その日もいつも通り体を洗っていたのですが、突然、腕を洗ったときに大きなシャボン玉ができたんです。

 

正しくは、片方の手をもう片方の肩から手首にスライドした時に、たまたまきれいに腕の中にボディーソープが張って、それを大きなシャボン玉ができた!って思ったんですよね。

 

まあ、幼い私はすごいと思って、それを見て欲しくて母をすぐ呼んだんですよ。

 

ちょっとドアを開けて、大きな声で「ちょっときてーーー!!はやくーーーー!」って。

 

母も「はいはいちょっと待ってー」とかいうので待つじゃないですか。

 

だからまだかなまだかなとワクワクしながら待つのですが、何故かなかなか来ない。

 

たしか10分ぐらい待たされたと思います。

 

でも子どもの体感時間ではもっと長く、30分ぐらいは待ったんじゃないかと思うほどでした。

 

そして私は「もうこれは来てくれないんだ」と諦め、諦めと同時に腕を動かしたことでシャボン玉は割れてしまったのでした。

 

結局母は、シャボン玉が割れてから体感5分後に来ました。

 

そして「何?なんかあったの?」と聞くので、私は「腕におっきいシャボン玉ができたから見て欲しかったのに」と答えたんです。

 

すると母は「ふーん、そう」とどうでもいいような態度。

 

しかもお風呂に上がってから分かったのですが、母はドラマを見ていて、そのドラマがCMになったタイミングで来たんです。

 

呼んでも来てくれない、自分に嬉しいことがあったのに興味なさそうな態度、そして自分のことよりドラマの方が大事。

 

そのときまでも色々と悲しい気持ちになることをされてきましたが、この時に一気にいろんなことを諦めてしまった気持ちになったことを覚えています。

 

 

私の成長した姿を何で見てくれないの

我が家はお金が掛かることは基本的にNG。

 

なのでピアノを習いたいとか、塾に行って勉強したいというお願いをことごとく却下されたのはそこまでショックを受けませんでした。

 

だからこそ先程の「お金が掛からないのに裏切られた」ということはものすごく印象に残っていて、今でも許せないと思っています。

 

そしてお金が掛かかることではなく、母が私より自分を優先したということでショックを受けたことがもう一つ。

 

 

小学生の時、授業参観ってワクワクしませんでしたか?

 

うちの母は仕事をしていたので、平日の日中に母に会えるということにすごくワクワクしていました。

 

それに授業参観に来た母へ、自分のかっこいい姿を見せたいと思ってたんです。

 

授業参観当日、その日は午後から授業参観だったので友達のお母さんたちが続々とくる中、いつお母さんが来るんだろ言うとドキドキしていました。

 

しかし母は結局来てくれず。

 

私の発表が来てしまい、自分のかっこいい姿を見せるとができませんでした。

 

少し悲しかったのですが、仕事とかあるからしょうがないって思ったんです。

 

しかしその後母の姿が見えたので、「最後みんなで歌うときに自分のことを見てもらえる」とうれしくなりました。

 

ですが、何故か母は教室に入ってこず、廊下で他のお母さんたちとおしゃべり。

 

やっと来てくれたのになんで自分の姿を見てくれないんだと、ものすごくショックを受けてしまったのでした。

 

後から聞いたところ、母はお腹を壊し学校を出てしまい、近くのスーパーのトイレにこもっていたんだとか。

 

そして学校に来たのに教室に入らなかったのは、授業が終わったと思っていたからとのこと。

 

お腹を壊したのはしょうがないとしても、授業が終わっていないことは一目見ればわかったはず。

 

なんで来てくれたのに私の姿を見てくれないの?何のために来たの?と悲しくて仕方がありませんでした。

 

それ以来、授業参観のお知らせは見せずにごみ箱に捨てるようになりました。

 

 

まあこんなことをされ続けたら「自分は何をしてもダメなんだ」「自分のお願い事は相手を困らせる・迷惑をかけるだけだ」って思うようになってしまう訳ですよ。

 

そしてそのうち、ちょっとしたことだと自分の希望を口に出せなくなるんです。

 

例えば外食に行ったときに「もっと食べたいものなかったの?」って聞かれて、「デザート食べたかった」って言うと、なんで言わないのかって怒られる。

 

でも何食べたいかとかそんな小さなことどうでもいいし、普段は怒ってくるじゃんって思っちゃう。

 

自分の望みは「自分だけ下手だから部活のみんなに迷惑かける、だから部活辞めたい」みたいなのが増えていくんです。実際にそう思ってた。

 

自分が迷惑かけているから、かけないようにしたいっていうね。

 

 

自己犠牲の性格は大人になってからも

そしてそれは大人になってからも変わらずでした。

 

例えば前に書いたこの記事。

 

 

 

読んでもらうと「なんで明らかに法律違反な会社の言うこと聞くの?!気にせずやめればいいじゃん!」って思うと思います。

 

家族や友達からもものすごく言われました。

 

会社が悪いんだからやめちまえーって。

 

でも私には、根本的に自分の望み・お願いは聞いてもらえないって意識が強く、どうせ言ったところでどうしようもないと諦めてるんですよね。

 

だから課長に反論したのは自分にとっては初めてのことだし、だいぶ頑張ったほうでした。

 

また自己犠牲の感情があるので、周りから「会社がおかしいんだから諦めるな」と言われても、自分が諦めればそれで丸く収まるんだからいい、今までそうしてきたんだからそれで問題ないんです。

 

それにそういうことを周りから言われると、「やっぱ私は何しても怒られる、文句言われるんだ」という気持ちが出てきてしまっていました。

 

本当は私に怒ってるわけではないってわかってても、怒られてる気持ちになるんです。

 

 

 

諦め癖が無くなったのは夫のおかげ

ですが、ここ最近徐々に「すぐ諦める」ということが減ってきました。

 

そのきっかけを作ったのが夫です。

 

アスペ夫の話を書こうと思っててまだ書きあげてないので、ここからの内容はネタバレみたいになります。笑

 

 

辛かった夫婦生活の中で学んだこと

別の記事でも書いてますが、夫はアスペルガー症候群のようなところがあり(でも実は検査してみるとアスペルガーではありませんでした!逆になんで!!)、何度言っても自分の話が伝わらず本当につらい時期がありました。

 

ですが離婚したくなかった私は何度も何度も夫に気持ちを伝え、何度も挫折しました。

 

ほんとうに、マジでしんどくて、夫との結婚をめちゃくちゃ後悔したんですよ。

 

いや結婚したことはそこまで後悔してないけど、夫と結婚するために”関東にずっといたい・仕事を続けたい”という気持ちを「夫と結婚するためだから」と諦めたことにはめちゃくちゃ後悔した。

 

諦めたことで幸せな生活が手に入ると思ってたのに、実際はめちゃくちゃ辛い日々が待ってたんだもん。

 

お前なんでそんな選択したんだよってなるじゃん?

 

だからこそ自分の選択が間違ってなかったって思えるように軌道修正したかったんですが、なかなかうまくいかず。

 

そして、徐々に諦めて離婚するしかないという気持ちになってしまったんです。

 

そうなると結局諦めてるじゃん!って話ですが、諦めたくて何度も同じことを伝え続けたというのは今までで初めての経験でした。

 

 

諦めずに伝え続けた結果

その後最大の離婚危機が訪れ、完全に離婚するつもりだったのですが、夫からちゃんと変わるからやっぱり離婚したくないと言われ、ひとまず離婚しないことに。

 

今の夫は「昔のあの夫はいったい何だったんだろう」と思ってしまうくらい、いい方向に変わってくれました。

 

つまりこれが人生で初めて(っていうのは言い過ぎかもしれないけど)自分の気持ちを諦めずに伝え、叶った瞬間かもしれませんね。

 

何度も諦めずに自分の気持ちを伝えるということをしてきたこの数年間。

 

私は早くに結婚したものの、あっという間に周りの友達は結婚して子供ができて家を建てて楽しそうに過ごしてて……。

 

私の人生なんだったんだろう、結婚して意味があったのかな?結婚しなかった方が幸せだったのかな?と何度も辛くなりました。

 

離婚しないとなった今でも、夫にされたことを許す気にはなりません。

 

でも同時に自分を成長させることができたので、夫との結婚は悪いことばかりではなかったんだなと思います。

 

とはいってもね、まだ「辛いこともあったけど結果オーライだよね★」みたいなところまではいってないです、はい。

 

諦めたものが多すぎたよ。仕事とか住む場所とか、お金・友達・ファッション……。

 

でも決して無駄なことばかりではなかったし、この経験がきっと将来の糧になるんじゃないかなと思います。

 

 

 

ようやく自己犠牲をやめることができました|まとめ

そんなわけで幼い頃からのコンプレックス?自分のよくない部分?を解消できてきたよーって話でした。

 

自己犠牲しなきゃ家族や友達から見放されるっていう、私みたいな考えの人間ってマジで生きるのしんどいんですよね。

 

他人からの評価が全てで、他人から求められなくなったらもうしぬしかないみたいな。

 

そんでもって自己犠牲をして相手が望むことをするというのが、自分が平穏に生きていくために必要なことだと思ってました。

 

でも自己犠牲して生きていくのって本当に神経すり減るし、自己犠牲した後の帳尻合わせもマジで大変。(次の日朝早いから早く家に帰って寝たいけど、相手が楽しくおしゃべりするのに合わせたせいで帰るのが遅くなり、朝は寝坊しかけるし睡眠不足になって日中集中できない……みたいな)

 

それに私が自己犠牲したところで相手が得をすることなんてほとんどないし、私が自己犠牲しなくなっても何も感じないと思う。

 

自己犠牲しようがしまいが、相手はその違いに絶対気がつかないと思います。

 

それぐらい私の自己犠牲って、相手からしたらどうでもいいし気にならないことだったんですよね。

 

そのことに社会人になってから気がつき始め、ようやく最近自己犠牲をやめることができました。

 

とはいってももちろん、自分の気持ちを一方的に押し付けるようなことはしないですよ?

 

自分の気持ち・意見を相手に伝えることと、自分の気持ち・意見を押し通すのは別物ですからね。

 

 

自己犠牲をやめることができたっていうのが私にはかなり大きなことだったので最近自分に感動してたんですが(?)、ちょうどいいお題が出てたので感情を吐き出してみました。